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  • 2008.03.19 Wednesday
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カルトですけど何か?

無神論者にとっては、宗教自体がカルトと言う事になる。

「神」や「仏」という科学的にも経験的にも存在が証明できぬ概念を持ち出し、
これを拝めと言っている事自体、尋常な事ではないと無神論者は思う。
「神」や「仏」と言う言葉を「宇宙生命」や「宇宙のリズム」と言い換えたところで、
無神論者はやはり同じような感想を持つだろう。

私自身、脱会したものの、仏教の信仰自体は放棄したわけではない。
メールマガジンまで書いて、仏教思想を普及までしている強烈な仏教信者である。

そして、その思想は原始仏典や禅などと言う、常識人にわかりやすいものではない。
神仏の実在を強調する、無神論者が見れば決定的に痛い内容である。

宗教団体こそ持ってはいないが、
特定の宗教思想を広めているという点では、宗教団体と同じである。

だから、無神論の人から見れば、私はカルトに見えるだろう。

この国には「カルト」の正式な定義はないので、
どういうものを「カルト」と呼ぼうが、その人の勝手である。
これに対し、「いや、私はカルトではない」などと反論する気力もない。

カルトと思う人間は、カルトと思ってくれれば良い。

人が何かを警戒するという事は、その人なりの経験の上からの防禦反応なのである。
だから、警戒するという行為は、重要である。

自らの経験を活かしたいという意味で、
私はHP上で創価学会問題に関する相談に乗っている。

このような相談に応じている場が、
ネットに限らず世の中全体で少ないので、
私のところに非常に多くの相談が来て困った時期がある。

そこで、あえてHPにおいて、私の「カルト性」をアピールして、
相談者を極力減らすようにした。

  だから、創価学会への執着を、解いてやらねば成仏しない。
  そのためには、南無阿弥陀仏と称えること。
  そうすれば、阿弥陀如来の力で、亡者の執着を取り除くことができる。

このように書いておけば、
余程、悩んでいる人でなければ相談しに来ないだろうと思った。
ある程度、功を奏したと思うが、
やはり「余程、悩んでいる人」がいて、相談しに来るのである。

阿弥陀信仰を説く人間であっても、創価よりはマシと思うのだろうか。

私をカルトと呼ぶ人がいる。
体型も江原啓之に似ている。

下の植島啓司の説くマインドコントロールのテクニックを読んでも、
「ああ、これってわしのことじゃん!」と思い当たる所もある。

そんなわけで、危機感を持つ人は、私を回避することをお勧めするが、
それでも、「毒をもって毒を制したい」という意図をもって接近する人は、
注意深く、寄って来ていただきたい。

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  • 2008.03.19 Wednesday
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