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  • 2008.03.19 Wednesday
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カルト問題に関するインターネットの役割

カルト宗教に関する問題は、本来、国家をあげて取り組むべきであるが、
残念ながら、今、現在、それができていない状況である。

「宗教的結社の自由」という事や、
宗教団体自体がスポンサーとなっていることもあり、
マスコミも、大きな宗教団体に関しては、なかなか手を突っ込んで行けない。

精神科医の世界、消費者センターなどでも、
積極的にこの問題に取り込んで欲しいが、
精神科医や、消費者センターのスタッフに、
問題となる宗教団体の信者がいる以上、これは期待しても無駄である。

カルト問題に対応する任意団体も存在するが、
その役割は極めて限定的なのではないかと思われる。

このような現状の中で、
比較的自由な言論が可能なインターネットが、必然的に重要な役割を果たしている。

その役割は、大きく分けて3つ。

一つは、啓蒙の場。

カルト問題を世間に知らしめる啓蒙の場としての役割である。

二つ目は、相談の場。

お金を取らず、しかも素早く、カルト問題に悩む人の相談に乗れる。

三つ目は、カタルシスとしての場。

カタルシスというのは、心理学において、浄化、排泄を意味する用語である。
例えば、鼻がつまっている場合、鼻をかめばスッキリする。

カルト問題によって、「悲しみ」や「怒り」を抱えてしまった人は、
その「悲しみ」「怒り」を吐き出す事で、精神の安定を取り戻す作業が必要だ。

ネットで、同様の経験を持つ人が集まる事で、
互いにカタルシスを行うという役割がある。

カルト問題を扱うサイトは、不特定多数のさまざまな人間が集まって来るため、
色々とやっかいな事が生じる。
中には、交流する相手とのトラブルで、さらに心に傷を受けるという人もあり、
こうしたサイトの存在、そのものが不要だという意見もある。
(なぜかサイト不要論を述べる者ほど、ネットの依存者であったりする)

だが、上記の役割に当てはめて考えるならば、
まず、通常のマスメディアが、カルト問題に対し、
消極的な報道しか出来ていない以上、
一体、誰がカルト問題を取り上げるのか。

また、「どうすれば脱会できるのか」などと言う問題について、
いちいち、お金を払って、
自称「専門家」のアドバイスを受けに行かねばならないのか。

さらに、自分の胸のうちの苦しみ、悲しみを、
相手の顔の見えぬインターネットだからこそ、
匿名で、安心して明かす事ができる。

これが、特定の場所に出掛け、アル中の集団カウンセリングのように、
カルト被害者同士でのミーティングを受けに行かねばならぬとするならば、
これは大変な事である。

もちろん、他のジャンル同様、カルト問題の世界においても、
ネットにおけるトラブルは避けられない。

トラブルがあるから、ネットにおけるこのような場を否定するという
極端な発想をするのではなく、
ネットにおけるトラブルの原因や対策というものに、
よく注意しながら、安全にネットを利用して行くという知恵ではないか。

カルト問題に関するサイトの運営者自身が、
マインドコントロールの影響をまだ思考の中に残してあり、
それゆえ、その人がカルト問題を扱う事自体が危険であるという意見もある。

もちろん、その危険は充分に考えられる。

だが、一方、マインドコントロールの影響をまったく受けていない人とは、
どういう人なのか。

たとえば、どのような宗教にも、カルト的要素があるのだ。

リアルの場において、カルト問題に取り組む人があるが、
そういう人も、何らかの宗教をやっている事が多い。
その宗教は「カルトではない」と明確に言い切れるのか。

また、宗教的マインドコントロールを受けた経験の無い人は、
宗教的マインドコントロールの実際が理解できない。
そういう人物が、果たしてどこまで、この問題に貢献することができるのか。

自分もガンにかかっている医者は、
自分がガンであればこそ、ガン患者の気持ちがよく理解できる。

同様に、自分がマインドコントロールでさんざん悩んで来たからこそ、
自分と似た境遇の者に、心のこもった言葉がかけられるのである。

ネットというのは、面白いところで、
あまり「異常」な人のところからは、自然に人が離れて行く。

心配しなくても、マインドコントロールの影響を強く残し、
発言がヤバイ人のところには、自然に人が来なくなるのである。

以上、カルト問題において、ネットが果たす役割が大きいと書いて来たが、
カルト問題というのは、人の根底の生き方に関するテーマである以上、
それだけ「感情的」になりやすい。

この手のサイトに関する「警鐘」は、半分は当たっているのである。

「感情的」になった結果、数々のトラブルを生み出す。
このトラブルは、イデオロギーをテーマとするサイトと同じか、
それ以上に多いかも知れない。

だから、単なる趣味的なサイトと同じような気分で参加していると、
思わぬトラブルに巻き込まれる可能性もある。

まず第一に、サイト管理者の見識が問われるのは当然であるが、
トラブルに巻き込まれないように、参加する場合の注意点を述べたい。

過去ログの内容と重複せぬよう、
ここでは、「こういう人には気をつけて」という視点で列挙したい。

1.他宗教への勧誘を目的とした参加者がいる。

参加者というのは、掲示板等の参加者であるが、
他宗教に誘導するために、参加して来ている人がいる。
だが、これはさほど深刻ではない。
発言内容からすぐに気づく。

2.趣味で参加している人がいる。

その宗教と何の関係もないのに、趣味で顔を出す人がいる。
こういう人は、2ちゃんねるなどに多い。

また、かつての「相談者」で、その掲示板に参加することが面白くなり、
ほとんど趣味になっている人もいる。
「人の不幸は蜜の味」と言うが、
悩んでいる人の話を聞く事が、愉快でしょうがない。
近所の「おせっかいおばさん」のようなタイプである。

こうした趣味で参加してる人は、最初、相談に乗っている時は親切だが、
付き合っていると、次第に嫌気がしてくる。

3.カルト問題に異常に熱心な化け物がいる。

これは私の事だ。

普通、人は無料で他人の相談に乗り続けたり、研究したりしないものだ。
良くも悪くも「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」であり、
だからこそ、次々に新しい人生のテーマを作って、愉快に生きて行ける。

どのような分野でもそうだが、
一円にもならぬのに、一つの問題を究明し続ける人というのは、
どこか「異常」なのである。

私はかつて、吉田松陰という人物を尊敬している。
この吉田松陰は「狂」という思想を説いた。
「狂」でなければ、大事は成す事はできぬと言う思想である。

吉田松陰自身、「狂」を貫いた人で、
アメリカ船に無許可で乗り込もうとしたし、テロ計画を立てた人物である。
役人に「あなたはテロ計画を立てましたか」と尋問され、
正直に「ああ、そうです」と答え、処刑された。

この吉田松陰の弟子に、幕府を倒す先駆けとなった高杉晋作や、
新政府の数々の中心人物が存在する。

「狂」であればこそ、一つのテーマを貫ける。
そこで、私は創価学会問題に関しては「狂」である事を決めたのである。

ネットの中で、専門知識を持った人がいる。
別に、それを仕事としているわけではない。
他に生業を持ちながら、その問題に異様に詳しい。
そういう人間が「化け物」だ。

何か疑問があれば、その化け物に相談すると、
金品を要求される事もなく、即座に、かつ、的確な回答が返って来る。

だが、非常に「不気味」な存在である。
あまり近づくと、悪い影響(共依存など)を受けるような気もする。

実際、悪い影響を受けるかどうかは、その「狂人」による。

吉田松陰も、弟子にテロ行為を要求したのである。
狂人には、似たような性質を持つ人は多い。

そう言えば、日蓮も「狂」だったな。

4.サイコパスな人がいる。

「サイコパス」とは「性格異常」という事で、その特徴は

(1)良心の異常な欠如
(2)他者に対する冷淡さや共感のなさ
(3)慢性的に平然と嘘をつく
(4)行動に対する責任が全く取れない
(5)罪悪感が全く無い
(6)過大な自尊心で自己中心的
(7)口達者で浅薄な魅力

ジャンルを問わず、ネットにはこのような人物が徘徊していて、
悪意がある、なしに関わらず、「荒らし」を行う。

「そのサイトにおける話題は、そのサイトに留める」のが常識だが、
サイコパスはそんな事、気にしない。
他のサイトで、どんどん、悪口やら何やらをやらかす。

サイコパスはしばしば、「ネットストーカー」と化す。
いつまでも、その人物について回るのである。

ストーカーと言っても、「恋愛」の事ではない。
悪意を持って、付け回すのである。

その人物が記事を書けば、必ず、コメントに嫌味を残す。

その人物が、どこの掲示板に書き込んだかとか、すべてチェックする。
そして、悪意を込めた反論を成す。

反論のための反論であるから、中心思想はない。
意見は、コロコロ変わる。

以上、列挙してみたが、誰が異常な人なのか、
なかなか見分けがつかない場合がある。

ハンドルネームをコロコロ変え、そのたびに別人格を演じる人もいるからだ。

だから、大切なのは、だいたい、誰にも異常性があると見る事なのだ。
「この人はサイコパスかも」「この人は狂人かも」という目で見るのだ。
そういう危機感を持って、交流することが大事なのだ。

所詮、ネットなのだ。

もっと深い交流をしたいと、うかつにオフを願い出ると、
そこからとんでもないハプニングが起こる事もある。

オフが絶対にダメだとは言わないが、
極端に言えば「この人ならば騙されてもいい」と思えるような相手でなければ、
会わないほうが無難である。

顔が見えないとどうしても嫌だという人は、
費用はかかるが、カルト問題を扱う団体に行ったほうがいい。

また、他人ばかり責めるのではなく、
自分にだって、何らかの異常要素があるはずだ。
常に自己反省しながら行きたい。

そして、もう一つ、重要なことをあげておこう。

5.サイト管理者は未熟である。

これは、100%そうである。

カルト問題ばかりではなく、インターネットサイトの管理者はみなそうだ。
未熟な人間がやっているということである。
だから、きめこまやかで、適切な管理を要求しても無理。
平等な対応を要求しても無理。

管理人だって、主義主張や人の好みがある。

自分の主義主張に近い参加者を重んじたり、
好きなタイプの参加者を大切にしたり、
新参者よりも昔からそのサイトに協力してくれて来た
古参の顔を立てようとするのは当然である。

サイトとは上手に付き合い、潮時と思ったら、去るべし。

かく言う私が一番、サイトの管理が苦手であり、
私がこれまでやって来た掲示板は、すべて休眠状態となってしまった。
狂人管理人の主催する掲示板など、人が寄りつかぬのが当然である。

それでも、相変わらず、ほぼ毎日、メールでの相談を受ける。
ある意味、ありがたいことである。

だが、私は未熟な人間であるから、相談に対する回答が、適切であるとは限らない。
その回答通りに実践し、事態がかえって悪化することだってある。

だから、私だけの意見だけではなく、色んな人の意見を聞いて、
最後は自分でゆっくり考えて結論を出して欲しいと思う。

ネットには問題がある。
でも、私はネットの力を信じる。

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