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  • 2008.03.19 Wednesday
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釈迦、日蓮、戸田、三聖会談(4)ビッグな仏 

戸田 最澄さまはお名前の通り、純粋ですな。
   ひたむきな方ですな。

釈迦 そのひたむきさが、良い風に出ればいいが、
   悪い風に出ると、一つの法門にこだわる心が出て来てしまう。

   そこで、宗教というものについて、
   もう少し、深く考えるため、特別ゲストをお招きしたい。
   なかなか忙しくてめったに会えない方だ。

ここで壮大なBGM(ロス五輪のテーマ)が流れ、
最澄の去った椅子を、七色の明かりが包み込む。
次の瞬間、どーんと、大柄で、派手なアロハシャツのようなものを着た男が現れた。
これが大乗仏教を象徴する仏、阿弥陀如来である。

釈迦、日蓮、戸田、あっけにとられる。

弥陀 よう!

釈迦 これはまた、ド派手な登場の仕方ですな。

戸田 あ、阿弥陀さまに会えるとは思わなんだ。

釈迦 日蓮君、恐縮してるようだね。

日蓮 そりゃあ、私は生前、阿弥陀さまに対し、相当ひどい事を言いましたからね。
   阿弥陀如来は別世界の仏であるから救ってくれないとか。

戸田 最近の学会は、もっとヒドイ事を言っております。
   阿弥陀如来は想像上の仏であると。

釈迦 浄土真宗でも、阿弥陀如来は存在しないなどと平気で言っているようですね。
   「仏、ほっとけ」と。

弥陀 仏教の人たちの間で、私の存在が否定されるようになったのは、
   大乗非仏説が出たあたりからだろうね。

戸田 大乗仏教が非仏説、つまり、
   釈迦の教えとは異なるものだと言う事になりますと、
   当然、そこに登場します、阿弥陀さま並びに、
   数々の諸仏菩薩の存在が否定されることになります。

弥陀 もともと私は仏教の仏じゃない。
   古代ペルシャのゾロアスター教で、
   アフラマズダとして信仰されていたのが、
   仏教の仏としても敬われるようになったんだ。
 
   私もなかなか偉いもんだねえ。

戸田 ところで、その派手なファッションは、アフラマズダのほうですか?
   阿弥陀のほうですか?

弥陀 どちらでもない。

   私は古代、人類が文明を持って間もない頃、
   釈迦君のように、真理を求めて修行した者だ。

   死後、私を尊敬する者が、私を神として崇拝するようになった。
   そのうち、私は呼び名を変えられながら、
   色々な地域で信仰されるようになった。

   そのたび、イメージされる姿形も異なるので、
   わけがわからなくなって、もう、どうでもいいやと、
   このファッションにしたのさ。
   
戸田 鎌倉の大仏とは随分、イメージが異なりますね。

弥陀 あれはちょっと地味で嫌だな。
   野ざらしだし。
   パンチパーマきついし。

   私はしょせん、霊魂だから、
   どうイメージしてもらってもいいんだけど。

日蓮 私は、極楽浄土という特別な世界があるかのように思っていましたが、
   そのようなものは無いのですね。

弥陀 死んで魂が向かう世界、すなわちこの霊界というのは、
   西もなければ東もない。
   まったく異次元であって、物質的な拘束を受けない世界だね。
   だから、人間の考えるような極楽浄土はない。

   ただ、あえて言えば、私を信仰する時、
   心に生まれる安らぎが、極楽浄土だな。

   おててのシワをシワを合わせて、幸せ。

釈迦 仏教徒が勝手に阿弥陀さまを信仰し、た勝手に否定したする。
   開祖としてまことに申し訳ない限りです。

   ところで、「阿弥陀などいない」と申す者を、
   阿弥陀さまはお助けになられますか?
   
弥陀 神や仏と言われている者は、要するに、人々の、遠い、遠い先祖です。
   先祖はみな、子孫を見守り、幸福を願っています。
   
   多くの人間は「先祖は死んだのだ。もう居ない。」と思っています。
   先祖の事は、忘れ去られてしまいます。
   それでも、先祖は子孫の事を見守り、幸福を願い続けます。

   それは私も同じ事であり、
   人々が私に対する信仰があろうと、なかろうと、
   私は人々を見守っています。

   神仏が居ないと思っていただいても結構。
   それでも我々は手を差し伸べたいと思っております。

戸田 ですが、どれほど神仏がそう願っても、
   下界から不幸が消える事はありません。

弥陀 親はわが子に、正しい道を歩んで欲しいと願います。
   ですが、わが子が、その親の心に気づこうとしなければ、
   その親の願いは宙に舞うだけです。
   
   子供は親が何を思っているか、純粋に心を開いた時にのみ、
   その考えを受け止める事ができます。

   いくら神仏が人類の幸福を願っても、
   人類が神仏に心を開かねば、神仏の考えは伝わりません。

日蓮 しかしながら、太古より、人類には宗教があり、
   神との対話を心がけて来ました。
   それでも、人間社会から戦争や貧困、病気が途絶えた事はありません。

弥陀 そうですね。
   現代よりも、昔の人のほうが、よく神に祈ったと思います。
   為政者もまた、何らかの信仰を持っていたものです。

   にも関わらず、戦争を起こしてしまうのは、
   それだけ煩悩を制する事が難しいという事です。

   一時は、信仰により、正しい心に目覚める。
   ですが、次の瞬間には、すぐに現実に流されるのです。

   強い信仰を持続し、煩悩を制御するというのは、大変に困難な事です。

   また、神仏と申しますのは、
   キリスト教の説く、創造主のようなものではありません。
   もともとはみな、人間です。
   そのうえ、すでに肉体が無いのですから、
   ある意味、人間よりも無力な存在です。

   ですから、自然災害を神仏がどうにかできるものではない。
   病気をこの世から無くす事もできません。
   
   ではなぜ信仰が必要なのか?
   それは、自らの心を制御すること以外はありません。

   煩悩に流され、自らの事しか考えぬ心に打ち勝ち、
   他人を自分のように愛する心を育む。
   そのような人格を生み出すために、先駆者である神仏を敬うのです。
   
釈迦 無神論者であっても、理性を強くたもてば、同様の境地に到達できますが、
   人は非常に弱い存在ですから、時として自暴自棄になりやすい。
   神仏への信仰というものは、
   いつ折れてしまうかわからぬような心を支えるための、杖なんですね。

弥陀 その信仰者の模範として、イエス・キリスト君がおりますね。
   彼は常に、神に対する強い信仰を持続し、
   死に際しても、それを捨てる事がなかった。

釈迦 彼のような者こそ助けねばならぬと、彼を害せんとする者に対し、
   「キリストは神の子である。殺してはならぬ。」
   と語りかけたのですが、とうとう、その心を覆すことはできませんでした。
   邪心の者には、我々の言葉は届かぬのです。

弥陀 神仏は本当に無力なのです。
   民族を抹殺しようとする者。
   爆弾を落とそうとする者。
   それらに対し、神仏は常に「やめなさい」と訴える。
   だが、神仏を拒絶する者に、その言葉は届かない。

戸田 しかし、たとえば、イスラム教の場合、強い信仰心を持ちながら、
   テロをやって、無関係な者を殺害するわけでしょう。

日蓮 彼らは神を信仰しているようで、実は神ではなく、
   積もり積もった民族の怨念のようなものを
   信仰しているのではないでしょうか。

弥陀 寺院に居るのは必ずしも、神ではない。
   人々が憎しみをもって祈れば、そこには神ではなく、邪悪なものが降臨する。

日蓮 かつて日本において、
   権力者同士が互いに密教の修法で
   呪詛をかけあうという事がしばしばありましたが、
   これは神仏ではなく、邪悪なものを動かし合っていたわけですね。

戸田 神仏に向き合う時、すでにそこに「正しい心」が必要なんですね。
   つまり、神仏が存在するとか、しないとか、
   神仏が何をしてくれるという事よりも、
   正しい心で神仏に向き合うという行為、それ自体に意味があるのですね。

   確かに、
   「俺は神も仏も信じられない。信じられるのはお金だけ!」
   とやっきになって働いている人よりも、
   信仰を持っている人のほうが、人間性が優れている事が多いですからね。
   
   信仰によってどんな利益があったか、という事の価値ではなく、
   信仰を持つ事自体の価値です。

弥陀 その後者の価値のほうが重要なのです。
   だから、何教とか、何宗とか言うのは、まったくどうでも良い話です。

戸田 呼び名は違えども、世界中で阿弥陀さまは信仰されております。
   今、この瞬間も、どこかで阿弥陀さまを呼ぶ者があるはずです。
   
   身体がいくつあっても足りませんね。

弥陀 過去に私を信仰した者は、霊界に来て、みな私の眷属(けんぞく)、
   つまり、私の役割を手伝ってくれている。
   それが何百万、何千万といるのです。
   私の名を呼べば、必ず誰かが聞きつけて、動いてくれます。

   それにしても、確かに時間は足りない。
   こう有名になってしまうとな。

   てなわけで、私は仕事に戻る。
   
   君たちに、幸あれ!

阿弥陀、手からビブーティー(聖なる灰)を出しながら姿を消す。

日蓮 この灰に何の意味があるんでしょうか?

戸田 サイババのマネでしょう。

釈迦 それにしても、ビッグな方ですな。

(つづく)

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